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極楽寺世古 | 月夜見宮さんから小原病院の赤いレンガ塀に沿って東に向かい、病院の玄関横から入る小路で、コの字に通っています。 昔、極楽寺というお寺があったので世古の名として残っています。 国学者で歌人の「足代弘訓」の屋敷跡がこの小原産婦人科病院」の辺りに在ったそうです。 |
足代弘訓 |
天明4年(1785)〜安政3年(1856)の江戸時代後期の国学者であり歌人でもあった。 内宮の神職のかたわら、荒木田久老らに国学を学び、研究は国文・国語のほか神道・国史にも及んで千余巻の書を著わし、歌集もある。 吉田松陰や大塩平八郎等とも交流があり各方面に活躍した。 「大塩平八郎の乱」(1837)には取り調べを受けたりもしている。 自筆稿本が伊勢神宮の神宮文庫に現存する。 (朝日日本歴史人物事典参考) |
足代弘訓の屋敷跡にある小原産婦人科病院(宮後1丁目)の庭内には歌碑が建っている。 よのなかは八重山吹の花ごころ みなき事のみもてはやしつつ |
小原産婦人科病院 |
この病院のれんが塀は曲線を描いて目を引く存在である。以前からあった古いレンガを新しく改装したそうです。 |