山田の世古神路通り界隈>神路通り


外宮北御門から月夜見宮への道を神様の通られる道として「神路通り」と呼ばれています。
月夜見宮の月夜命が外宮へ通う「神の通い道」とされていて、今でも人々は道の端を通るようにしています。
月夜命は夜ごと外宮へ通うとき白馬に乗って通っていたという美しい話が言い伝えられています。
この通りは一志町と宮後町が通りをはさんで向かい合っていて、家ごとに「神路通」と書かれた提灯を掛け、
この聖地を大切に守っています。   ー神路通り(白馬伝説)ー  寺田千鶴子 文・写真

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東邸

通りの中ほどに建つ東家は「古今伝授」の創始者である[東常緑](室町時代の歌人)を祖にして、
東夢亭・恒軒・佩芳・桂林など漢学者や医者・歌道などの才人を出した家柄であります。
現在の主はこの地に居を構えてからでも16代目になるそうです。
また、東氏は中世に230年間美濃の国郡上の篠脇城主でした。その館跡が「名勝東氏館跡庭園」として岐阜県郡上市大和町に復元整備されています。   (右の写真)
古今伝授
古今伝授というのは「古今集」の解釈を中心に歌学やそれに関連するいろいろな学説を口伝などで、師から弟子へ秘説相承(他に洩らさず伝える)すること。




茶人 杉木普斎邸跡

神路通りの一番北側の月夜宮の前に厚生小学校が在ります。この敷地の西側の一隅に、「茶人 杉木普斎」(1628-1706)の屋敷跡の碑があります。
伊勢山田の杉木普斎(すぎきふさい)は千利休の孫千宗旦の高弟で、一流をなした人物です。
寛文9年(1660)に当時の鳥羽城主であった内藤忠重が遷宮警護で山田を訪れた時、
普斎に一服を所望したそうです。1706年79歳で没している。  参考 (発見!三重の歴史)より
この厚生小学校は設立明治17年で、市内の中央にありマラソンの「野口みずき」が在籍していました。




鉄道模型の館

機関車や電車の模型を、日本と海外の車両を合わせて1900台も所有されているお宅があります。
このお宅の三階には、6種類の列車などが同時に走行できるコースが造られています。
ご主人が大学時代から50年以上もかけてコツコツと作られたものだそうです。
                 詳しくはこの館のホームページを訪問してください   ー鉄道模型サイトー 
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百八十年続く 味噌醤油醸造元

厚生小学校の近くに、江戸時代中期(文化十三年)創業の味噌醤油醸造元の「糀屋こうじや」があります。
伊勢神宮参拝客が故郷への土産として持ち帰ったとされ百八十余年つづくお店です。
昔ながらの作り方で、仕込み場には大きな木の樽が並び壁には麹菌がたっぷり住み着いているようです。
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