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中世古 外宮神苑の北側、南島線のかかりの仁川砂糖店と前川歯科の間の通りです。
昔は田中町と中世古町の二つに分かれていましたが後に合併して田中中世古町と称し、明治40年12月に現在の「本町」という町名になりました。 
中世古の名の由来は、寛文の大火以前に在った神光寺が「中ノ道場」と謂われていて、そこへの世古なので中世古と称されるようになったとの説が有力です。
曲がりくねった世古は迷路のような通りになっています。
世古の中程から外宮北御門へ通じます。 左の場所から北の方面、伊勢市駅に通じます。


本町公会堂
この世古の中程に、当町本町の公民館である「本町公会堂」が在ります。
外観は戦後の建物のようですが、大正14・15年頃移築されたものです。幸いにも自治会長さんに中を見せていただけました。改装されていましたが天井は格天井で、丸窓や額に昔が偲ばれました。当本町奉曳団は外宮さんに隣接していることや、徳川将軍家の御祈祷師で力のあった御師の春木大夫の屋敷が在ったことなどから外宮の御扉木の重要な御用材の奉曳を任されています。
本町のお木曳き


濱田邸
中世古の通りからは東側の県道伊勢松坂線に通じる世古が4・5本通っています。中程の世古で趣のある土塀が目に入ってきました。濱田泰彦様のお宅でご主人さまのご厚意でお話を聞かせていただくことができました。
五木某という神官の屋敷跡だそうです。この土塀は老朽化してきているので近々取り壊す予定だそうです。
更にご厚意で貴重な真筆の扁額を見せて下さり、その上紹介することもお許しくださいました。


左側の額には、幕末の福井藩主であった「松平春岳」からの直筆の礼状です。濱田様の三代前の絵師だった濱田常成さまが春岳の肖像画を描き奉じた時の礼状です。署名は読めましたが後は難しくて分かりませんでした。
右側の額には、満鉄総裁・東京市長などを歴任した「後藤新平」がこの屋敷を訪れた時、庭に植えられた見事な松を褒めて此処を「友松亭」と名付けて揮毫したものです。