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県道南島線八日市場町、永井小児科病院の前から宮町に至る通りは戦災から免れて戦前からの建物が残されています。中でも「小西万金丹」の店舗は商家の代表的な建物です。


小西万金丹
「小西万金丹」は同家の由緒書によると、伊勢国司北畠大納言の家臣が医道を志し、延宝4年(1676)現在地に薬舗を開いたとされます。「小西大和大掾(だいじょう)」の称号を授けられ手広く商いをしていた。明治維新で称号は廃止されたが、現在の十四代目まで昔のままの商いを続けています。
この建物は明治時代のもので、切妻妻入りの伊勢の商家の代表的な建物です。左側横手には蔵も残っています。店頭には、看板、商標などが展示されていて昔を偲ぶ佇まいがみられます。           (参考 伊勢のふるさと) 
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御師 福島みさき大夫邸跡
「小西万金丹」の前にある宇仁田呉服店は「御師 福島御塩焼(ふくしまみさき)大夫」邸が在ったところです。
屋敷の表門は、昭和十年に現在地の倉田山神宮文庫の門として移築されました。
この門の建立年代は、安永九年(1780)と棟木に墨書されています。現存する御師邸の門としては最も古い。
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慶徳麗女邸跡
宇仁田呉服店を西に向かい、有文堂書店横を南に入った平松歯科に「慶徳麗女邸跡」の碑がたっている。
慶徳麗女は江戸時代後期の女流文学者です。享保17年(1732)〜文化3年(1806)
内宮の神主荒木田家に生まれ13歳のとき慶徳家の養女となる。和歌、連歌、歌書に精通し、紫式部や清少納言に匹敵するほどの文才であった。<月の行方><池の藻屑>や<野中の清水>などたくさんの著書があります。
麗女の墓は浦口町の「小町塚墓地」にあり、辞世の句と共に残されています。