山田の世古神路通り界隈>御師世古


外宮北御門前、北御門通りの東側(右側)ミナミカラー写真店の横に狭い通りが「御師世古」です。
北御門通りの畑病院の前の世古に通じています。この辺りには御師が多く住んでいたのが世古の名前の由来です。
今は住宅が立ち並び昔をしのぶものはありません。             
(画像にマウスを当ててください)
上左の写真は、御師世古から外宮を見通したもの。右の写真は畑病院の前から御師世古へ至る通りです。




御師
御師とは、主に江戸時代 伊勢神宮の御札を持って全国を回り伊勢信仰を広めた人々です。
御師は元神宮の権禰宜で神人(じにん)と呼ばれる人々でしたが後には神役人、さらには商人などが御師株を手にいれて御師になり、江戸時代御師は宇治で271家・山田には615家がありました。御師たちは全国を回って結ばれた檀家たちに、お祓い大麻(神札)を届け、檀家は応分の初穂料を献じました。伊勢参りには自邸に宿泊させお神楽をあげ、もてなしました。抜け参りやお蔭参りなどと称して全国から多くの人々が伊勢を目指し参拝しました。しかし明治4年7月、明治政府により御師の活動は禁止されました。現在、広大な御師邸はほとんど残っていず、多くの資料も失われています。


    御師邸の遺構 山田(外宮)地域 
丸岡宗大夫邸 (本宅 門)
龍大夫邸   (屋敷地 碑)
上部越中守大夫邸 (碑)
東大夫邸 (門と蔵 碑)
三日市大夫邸邸 (屋敷地 碑)
   
     
      

残っている御師邸の門


葉山(はやま)大夫邸の門
この門は常磐町にあった葉山大夫家の薬医門で総けやき造りの瓦葺で鬼がわらには嘉永六年(1854)十一月とあります。明治四十年に常磐町の亀谷病院が譲り受け、長く病院の門として親しまれていました。
昭和三十六年に神宮司庁に献納され、四十年に現在の徴古館へ移築されました。棟瓦には葉山大夫の家紋が残っています。


福島御塩焼(ふくしまみさき)大夫邸の門
この門は八日市場町にあった福島みさき大夫邸の門で、江戸時代中期の安永九年(1780)に建築されたものです。昭和十年に現在の神宮文庫の門として移築されました。黒門と呼ばれています。


中西大夫邸の門
この門は常磐町にあった中西大夫邸の門で、伊勢市駅前本町の松葉医院の門として保存されていたが、現在は二俣町徳川山の松葉邸本宅の門として移築されています。


橋村肥前大夫邸の門
この門は常磐町にあった橋村肥前大夫邸の門です。橋村家は山田町年寄りを務め、外宮の権禰宜の神人でした。 現在伊勢市一色町の昌久寺の門として保存されています。


福井大夫邸の門
この門は一之木町にあった福井大夫邸の門で、十八世紀中頃の遺構とみられています。医薬門として建ちの高い門です。現在は多気郡多気町伍桂の珊瑚寺の山門として残されています。         (画像にマウスを当ててください)